院長の日記
2005.11.01 希望は持つべきか、持たざるべきか
朝夕の冷え込みが強くなってきました。
日が暮れるのも早くなり、クリスマスソングもちらほらと聞こえてきます。
所で、私は今、読書が一番の趣味になっています。
中でも宗教や精神世界の本を読むことが好きなのですが、多くの方が色々な表現を使って書いています。
でも突き詰めると、どの本も結局同じような内容というか方向性になっているように思います。
実は、今日の話は長いのですが、秋の夜長にふと哲学するのも一考ではないでしょうか。(^^;)
多くの書物に書かれていることのひとつに「積極思想」「プラス思考」があります。
確かに前向きに生きていくことは理解しやすく、自分の考え方として取り入れやすい思想なのですが、人生にはこの思想だけではなかなか乗り切れない時もあります。
そのような時には「やっぱ嘘じゃん!」と言いたくなる人もいることでしょう。
なぜなら、元々人間はベースに「マイナス思考」的な考え方があるからです。
だから完全には「プラス思考」に染まりきっていないのです。
それでも何とか乗り切っていくことはできるでしょう。
それぞれの方が心理的に固有の時間を持ち、その中で問題を溶かしていくからです。
医療の世界で言われている、いわゆる「日にち薬」もこれに該当します。
このような「思想」に関しては、ほとんどの場合前向き思考を基本にしてあると思いますが、他にもひとつ大きな違いがあるのです。
それは、「希望を持て」という考え方と、「希望を持つな」という考え方の違いです。
「希望を持て」というのは、マーフィの法則や多くの思想書があるので理解しやすいでしょう。
また、キリスト教も新約聖書を読みますと積極思想に溢れていますし、希望や祈りが大切にされています。
では、逆に「希望を持つな」というのはどういう意味でしょうか。
実は、仏教では「希望を持つな」と書いてあるものが多いのです。
曹洞宗の道元師が書かれた正法眼蔵の中にも、
「ほとけになるいとやすき道あり。
もろもろの悪をつくらず、
生死にじゃくする心なく、
一切衆生のためにあわれむ心をもち、
上をうやまい、下をあわれみ、
よろずをいとう心なく、願う心なくて、
心に思うことなく、うれうることなき。
これを仏となづく。
また、ほかにたずぬることなかれ。」
とあります。
意訳すると、色々な悪いことをせず、生きていることと死ぬことにも執着せず、周りの人みんなに優しく慈悲の心を持ち、目上を敬い、年下には優しくし、自分が行うべきことを面倒くさがらずに行う。
そして未来への願いを持たず、雑念を持たず、くよくよすることがない。
このような人を仏と呼ぶ。
これ以外の道を求めてはならない、ということになります。
ここでいう「仏」とは死者の事ではなく、ブッダ、目覚めた人、悟っている人のことです。
「願いを持つな」の意味ですが、正直なところまだわかっていません。
強いて私なりの浅~い理解で言いますと、「希望を持つ」ということは、未来に依存している状態を作ることになります。
あまり未来を期待しすぎると、「今」を大切にしなくなります。
つまり今の状態が良くないと感じる心があるから、未来への希望がでてくるのです。「今」を否定的に扱えば、たとえ希望を抱いても幸運はやって来ません。
だからこそ、今を大切にして生きていくことが必要なのです。
また、私たちは自分の過去のデータを土台にしてそこから今の現状を理解しています。
さらに今の状態を基にして、その人なりに楽観的か悲観的な未来を予想しているのです。
しかし、自分が記憶している「過去の記憶」は過去の真実ではなく、自分から見た自分なりの解釈によるデータです。おそらく其れは自分にとって有利なように解釈されており、それは真実、実際にあったことの一面ではあっても、全体像ではないと考えます。たとえば裁判でいうと、争っている二者の言い分が同じ事実を基にしていても全然違う内容に解釈されているという現象と同じです。
このように「過去」を重視するから、今の問題が解決しないのです。
それで今の事が心配であり、先行きが不安なのです。
つまり「過去」を基にしているのが原因なのだから、過去を重視せず、未来に期待をすることなく、「今この瞬間」に生きろと言うのです。
「一夜賢者の偈」という古いお経があります。それの一部を訳しますと、
過去を追うな
未来を願うな
過去はすでに捨てられた
そして未来はまだやってこない
だから現在の事柄を其れがあるところにおいて観察し
揺らぐことなく動ずることなく
良く見極めて実践せよ
とあります。
一夜賢者というのは、仏というほど悟りを永く持っておれない人でも、一晩、一日くらいは賢者でいる事ができるだろうという意味です。ですから質的には「悟っている人」と同じ意味です。
私にとっては、希望を持つなといわれても、正直なところそれには抵抗があるくらいの煩悩があります。
私は希望については持っていいと感じていますが、「今」の評価を落とす事のない程度に留めて、今を生ききることが大切なのではないかと考えています。
「希望」の真摯な形が「祈り」だと思います。
「祈り」は、真剣に心から行えば通じると言われています。
私なんかの祈りが通じないのは、真剣さが足りないからでしょう。(^^;)
結局、「希望を持て」という考え方と、「希望を持つな」という考え方の違いはあるのでしょうか。
おそらく行き着くところは同じなのだと感じています。
まだ、理由は人に云えるほどのものではありませんが。
私の考えもまだこれからもどんどん変化すると思います。
当分の間、サボっていましたので一気に書いてしまいました。
これからはもっと分散させるよう努力します。
ここまで読んでいただきありがとうございました。m(_^_)m
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