院長の日記
2007.03.31 テキと遭遇したとき
世の中では、最近いろんな言葉が氾濫していますが、私が気になる言葉があります。
「私的(わたしてき)には」や「自分的には」という言葉です。
これは関東圏だけなのでしょうか。
関西の方や他の地方でよく使われているのかどうかは知りません。
若い人たちがよく使っています。
なぜ、「私は」とか「自分は」と言わないのでしょう。
「的」という言葉を辞書で引くと、「名詞およびそれに準ずる語に付いて、形容動詞の語幹をつくる」とあります。
その中で「私的には」という使い方について調べてみると、「主に物や人を表す名詞に付いて、それそのものではないが、それに似た性質をもっていることを表す」とあります。
だとすると、「私的には」という使い方をすると、厳密には「私」ではないということになります。
以前、テレビでこの言葉を使う人になぜこの表現を使うのか聞いた番組がありました。
その時の記憶ですがその人は、人と話をするときに「自分は」というよりは「自分的には」と言う方がやわらかく伝わるからと言っていました。
つまり相手に反感をもたれたくないという気持ちがあるということです。
自己主張が強くできない。
このような気持ちで伝えるということは、その延長線上に「いじめ」や「仲間はずれ」に対する恐れがあるのではないかと想像してしまいます。
私は「自分」の考えを素直にというか、ダイレクトに伝えることができなくなっている人が少なくないと思うと、かなり根は深いと思います。
それから、わたしも人のことは言えませんが、丁寧語、尊敬語、謙譲語が使えていないということも原因の一つではないかと思います。
これらの言葉の使い方で、今まではやわらかく伝えることができていたと思うのですが。
結局、面と向かって話をすること自体が少なくなってきているということが、言葉の使い方に変化をもたらしたと思います。
いまの世の中は、自己主張の強い人も結構いる半面、「仮想の自分」しか出せない人も少なからずいるのです。
これから日本語はどのように変わっていくのでしょう。
世の中は諸行無常ですから、言葉の使い方が変わっても無理はないと思いますが、まだ私は使い方に慣れていません。
でも、「基本的に」とか「原則的に」はよく使います。
これは、辞書では「主に抽象的な事柄を表す漢語に付いて、その状態にあることを表す」とありますから、OKと勝手に思っています。
f^_^;
今日で3月も終わります。
毎年ながらはやいですね~。
2007.03.20 自分の歩き方を見直します
最近左膝の内側が痛くなってきたのです。(・_・)エッ….?
まだ、膝が痛くなるような年ではないと思っていたのですが、自分なりに診ると、どうも内側の靭帯が痛みの原因らしいのです。(-.-;)
別に最近捻った既往はないので考えてみたところ、どうも歩き方が悪かったらしいと思いました。
左足が特に外を向いた歩き方で、いわゆるガニマタのような歩き方が原因でした。
この歩き方で、左ひざにストレスがかかっていたようです。
そのため、歩き方を改めることにしました。
モデルじゃないけど、そのような感じできれいに歩くことをイメージしています。
自分で意識してまっすぐに足を出して歩くと、左膝の痛みは起きません。
でも、なれない歩き方なので、腰の筋肉、中臀筋が突っ張ります。
今は、歩くだけでも、結構なトレーニングになってしまいました。(^_^;)
この年で歩き方を治すのは大変ですが、コツコツやるしかないようです。
意識して歩くのでどうしても遅くなりますが、
見た目には歩き方がよくなりました。(^_^;)
それに、膝の痛みはなくなりました。f^_^;
人生半ばと思っておりますが、ここで歩きかたの見直しをすることは意義のあることなのかもしれません。
まだ生きていく必要がありますので、車体の点検と同じです。
長年使っていますけど、パーツの交換ができないものばかりなので、部品の状態を見ながら、今後の使い方を変えていくことになります。
そう考えれば、人生の歩き方も見直す必要がありますね。
これにもパーツ交換はありませんから。
2007.03.17 たった一度の蹴上がり
(注)今回の日記は、数年前に書いた日記のリメイク版です。すこし詳しいです。
私の高校時代の思い出の割合で、結構占めていることが「体育」です。
私の高校はグランドが広く端の方を走れば1週約500メートルになります。
これを体育の時間は「準備運動」と称して6週走ります。
先生はいつも点呼を取った後、けだるそうにしながら、すぐにほぼ無表情に「はい6周12分、ヨイドン」と言ってストップウォッチをカチャと押します。
「よ~い、ど~ん!」ではありません。
あっさりとした「ヨイドン」です。
私はいつもケツを走っていました。
一緒にケツの辺を走っている常連?がいましたが、そいつはイケメンなのでダラダラ走ってもかっこいいけど、こちらはただのダラダラだけ。(^_^;)
ちなみに卒業前の時期は20週走らされます。(-.-;)
それから、蹴上がりといって足で蹴るように反動をつけて鉄棒の上にあがる「蹴上がり」ができなくては卒業させないといわれていました。しかし私は練習中には一度もできないまま試験をうける羽目になってしまいました。
その試験のときです。なんとその時初めて「蹴上がり」ができました。
私自身驚きましたが、その直前には、「何とかなるかな」とか極めて軽い気持ちだけでした。まあこんなもんかなという気持ちだけが残りましたが、実はそのあとこの年になるまで、まだ蹴上がりはしていません。ですから、成功したのはたった一度だけです。f^_^;
この年まできたら、もう残りの人生でも「蹴上がり」はしないつもりなので、この名誉?を胸にあの世に行く予定です。
2007.03.12 ただそれだけ
私は、目の前のことに私全体で向かっていきたいと思っています(できる範囲でいいから、となぐさめながら (^_^;) )。
ということは、生まれてから今まで経てきた経験が積み重なって私を形作っているのだから、すべての経験は、私がこれから直面する事に面と向かうことを助けてくれている。
ということは、たとえ喧嘩したことでも、あほなことでも、すべて見方を変えれば役立っているんですね。
ところで英語の「face」は、「顔」という意味のほかに、「面と向かうという」、「〈危険・災難などに〉まっこうから向かう」、「〈事実などに〉直面する,直視する」という意味もあります。
私が気に入っているシルバーリングがあります。
これには「Whatever may come, I have the courage to face my fate. 」と彫ってあります。
訳すと「たとえ何が来ようとも、私は自分の運命と面と向かう勇気がある。」になります。
最初はこれでよいと思っていましたが、そのうちに「the courage(勇気)」は不要だと思うようになりました。
つまり「Whatever may come, I have to face my fate.」です。「たとえ何が来ようとも、私は自分の運命と面と向かわなければならない。」です。
それがよいと思っていましたが、そのうちに「have to (~しなければならない)」も不要と思うようになりました。
最終的には「Whatever may come, I face my fate. 」です。
つまり「たとえ何が来ようとも、私は自分の運命と面と向かう。」です。
ただ、それだけでいいんだ。
これですっきりしました。
しか~し、ここでどんでん返しが。
じゃあ、「Whatever may come、」もいらないんじゃないか?
「I face my fate. 」
えらくシンプルになりました。
もっともリングは変わりません。
変わったのは私の考え、私の気持ちだけです。
2007.03.10 血液型占いはあながちうそでもない?
これはある人から聞いた話です。
血液型から性格が分かるという話はまったくの嘘でもないというのです。
これはアメリカの学者が言ったそうですが、昔の資料で調べてみると、いろいろな疫病で死ぬ人はA型が多いということです。
それに対して、O型の人は死ぬ人が少なかったということです。
そのため、免疫力の弱いA型の人は、人と接することを避けようとして内向的になった。
一方免疫力の強いO型は不安がないので外交的になったというのです。
血液型の割合ですが、一般的にはA型が4割、B型が3割、O型が2割、AB型が1割ということになっています。
ここで解釈が二通りできます。
つまり、上記の説が本当なら、A型の人が多いのは死亡する率が高いので、数が多くなるような傾向にあるという考えです。
これは、魚などのように、卵から成長するときに食べられる可能性が高いので、最初からたくさんの卵を産むようになったのと同じ理論です。
もう一つはA型が多いのだから死亡する人数がO型より多くなることは当然であるとい
う考え方です。
確立からいえば、当たり前という考えです。
本当はどうなのでしょうね。
また、機会があれば調べてみたいと思います。
最近サボっていました。m(_ _)m
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