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院長の日記

2007.09.12  「人生には意味がある」という考えと「人生に意味はない」という考え

どちらが本当かを問うのではありません。
このような考え方があるということをご紹介したいのです。

「人生に意味がある」という考えは、この世に生まれてきたことからして意味があるといいます。
人生全体を学びに捉えています。私が今まで読んできた本は、一部の仏教に関する本を除いて、ほとんどがこの「人生には意味がある」ことを前提にしているように感じます。

一方で「人生に意味はない」という考えもあるのです。
人生に意味はないという考えは、例えばサマセット・モームが小説「人間の絆」で書いています。
彼は、人生には何の意味もなく、「ペルシャ絨毯」の織匠が自己の審美感の満足のために模様を織るのと同じように、人は自分の好みによって人生模様を織っていけばよいと書いています。

「人生に意味はない」といっても完全にないという意味ではないと思っています。
その瞬間にはそれ相当に「ある」と思いますよ。

ただ、モームは人生を貫くような意味での「意味」はないといっているのだと思います。

人生に意味などないと考えれば、あせる必要はないし、人と比べることも無意味になります。
道元禅師は、座禅に目的を持たせることを否定しました。ただ座ることだけとしたのです。
これも似ているように思います。

「人生には意味がある」という考えと「人生に意味はない」という考えの違いは、人生を先まで考えながら今のペースを作っていくという生き方と、今を考えて納得の上でこの瞬間のペースを決め生きていくという考え方の違いに繋がるように思います。

ある一点における関数を考える「微分」とある関数のある一点までの面積について考える「積分」の違いかな?

結局は見方の違いでしょうか。

そういえば、私は昔、「人生を微分すれば思い出になる。人生を積分すれば経験になる。」なんて偉そうに考えていました。

脱線して余計にわからなくなりましたか。


また、彼の回想録「サミング・アップ」では「人間について、もっとも私を驚かせたのは、彼らが矛盾に満ちているということだ。首尾一貫した人間など、ただの一人もお目にかかったことはない。まったく相容れない諸性質が同一人物の中に存在し、それでいて、もっともらしい調和を生んでいるのには驚かざるをえない。」と書いています。

この表現からもわかるように、考えも感情もコロコロ変化する人間を相手にするのだから、自分のやり方で、その時その時に対応していくということでしょうか。

まさに仏教でいう「諸行無常」です。
人生に意味があるとすると、そこから価値が生じないか、そこから目的が生じないか。
価値を持たせると、価値を高めようとする欲に繋がる。
これはおそらく永久に続く欲です。


まあ人生いろいろですから、自分が納得できるように認識しておけばよいと思います。

誰彼に言われるから、と信じるのではなく、自分で行き方を見つめたいものですね。

またまた、徒然なるままにダラダラと書いてしまいました。

投稿者 横浜FCクリニック形成外科 (15:14) | PermaLink
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