横浜FCクリニック形成外科

横浜FCクリニック形成外科院長の日記

2008.03.29  母親と似ていると思った時

親と似ていると言われた時には、「肯定したい派」と「否定したい派」の二通りあるのではないでしょうか。

「どっちだっていい派」も入れれば3つになりますが。(^_^;)

今回の「似ている」は顔のほうを意味していますが、落語などにもこの話題は登場します。

昔は母親が子供に「勉強しないとお父さんのようにはなれないわよ」と言われていたのが、今では「勉強しないとお父さんみたいになるわよ」と言われたりするという枕ネタです。

こちらは顔より性格というか生き様でしょうかね。

他にも、まじめで通している旦那が、実は無茶苦茶遊び人で、遊び人の息子と色町のお茶屋でばったり会うという「親子茶屋」というネタもあります。

こんなとこでネーちゃんとイチャイチャしている最中に息子と出会ったら、すごいでしょうね。 もっとも奥さんと会うよりはマシですか。

おっと、今回はこんなネタではなかったのです。 f^_^;

 

私は自分では顔はあまり母親に似ていない方だと思っていました。

ただ、最近鏡を見ていると目の辺が似ているかなと思うようになったのです。

ようやく、と言うべきでしょうか。

また、自分で似ているかどうかを評価するのと、他人から見るのとでは当然違っているでしょうね。

私も娘を連れていると、しばしば娘を見て「お父さんに似ているね」と言われますが、娘には気の毒です。

(^_^;)

私の評価はちょっと違うのですがネ。

親子の似具合。

これには、人間の数だけ様々な思いがあるのでしょうね。

親の生き様をどう評価しているかも、その感情に影響していると思いますし。

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2008.03.28  人生高飛び込み

生活が苦しいのか楽しいのかは人様々だとは思います。

楽しいと思って生活しても、苦しいと思って生活しても、そりゃあ自由です。

この感情は、どちらにしても単なる「自分の思い」だけなんです。

「かゆい」という気持ちと同じ。

 脳がそういう感情をアウトプットしているだけ。

だとすると、この1回の人生を、同じアホなら踊りゃな損損という感じで、楽しまにゃあ損だと私は思います。

別にお葬式の時に楽しめと言っているのではありません。

そりゃぁ~ ショッキンぐ~です(^_^;)

ただ、「その瞬間」の中に本気で飛び込めと言いたいだけです。

私はやったことはありませんし、また今のところやる気もありませんが、高飛び込みのあの瞬間にかける集中力と決断でしょうね。

当然、私の勝手な思い込みです。

なんか「ワクワク感」に通じる気がするんです。

何も考えずに、無意識に日々行っていることも、一度ぶっ壊して自分に問うてみるのも面白いのでは?

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2008.03.26  こんな考え方はいかが?

一つの仮説として、です。ちょっとシュールです。

 
人生は、各自が参加しているRPGのゲームのようなもの。

ゲームをやっているのは、いわば「脳」。

ゲームの中で自分が動かしているキャラクターが「今の自分」。

 

みんなで通信し合って、ゲームに参加しており、時には対戦?している。

 自分の身の回りを主体にした舞台であり、通信しあっている者同士にとってはこの世は「共有した世界」と言えるが、「まったく同じ世界」ではないと思う。

それぞれの立場から、参加している。

ただ統一した世界のように見えるだが、それぞれが別の世界なのではないか。

対戦しているとしても、対戦相手からみればまた別のストーリーになっている。

そして、普通のゲームと違うところは、1回でゲームオーバーになること。

 

「何故、人を傷つけたり、人を殺すことはいけないのか」と言う質問に対して、的確な答えになるかどうかはわかりませんが、「誰もがたった1回の参加しかできないのだから、そのゲームをあなたが終わらせる資格は無い」 という考え方ができます。

それからね、このプログラムは非常に精巧であり、膨大な情報量が入っており、繊細なので新たに作ることができないとすると、作れないものは壊すなということになります。だから殺人はいけないのだと。

 

最近「誰でもいいから殺したかった」という動機の犯罪が増えています。

ますます人間が狂ってきましたね。 

今のような世界では、必然の経過なのかもしれません。

(・_・;)

どこかで軌道修正したり、この流れを止めることができるのでしょうか。 

私にはわかりません。

 

それから、このゲームのプログラムを作ったのは、やっぱり「神」になるのかな?

だとすると、このプログラムにケチをつけることはできませんね。(^_^;)

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2008.03.19  医師らしくない医師

私はどちらかというと「医師らしく見えない」と言われることが多いです。

自分としては、普通のつもりですが。(^_^;)

私は、放課後児童保育を行っている施設に子供を行かせており、また役員にもなっていますが、おそらく私の仕事を知っている人はほとんどいないのではないかと思っています。

もしも、大学病院などで働いているバリバリの外科医のイメージから見れば、おそらく職の臭いというか、雰囲気は感じないでしょう。

それには私なりの理由があります。 

私にしてみれば、医療関係者ではない人がいわゆる「お医者さん」というイメージを持つ時に、どちらかと言えばマイナスのイメージとして持つもの、たとえば「気難しい」「偉そうである」「尊大である」「高飛車である」「逆切れしやすい」というような傾向が無いように、ただ極力気をつけているだけなのです。

それから、他の先生に比べて、お一人の方への時間が長い傾向があると思います。

話好きなのでしょうね。 

外来患者さんにもいろいろ質問を聞かれたりすると説明が長くなりますし、少しクドイかもしれません。(・_・;)

実際、大学にいた頃には、ある先生から「お前の話はクドイ」と、面と向かってはっきり言われた事があります。「かも」じゃなくてそうなんでしょうね。

話がはずんでしまうと、ついつい診察時間が長くなってしまう傾向があります。

これはどうも性分のようです。(-.-;)

話好きという点では、明石家さんまの気持ちは良くわかります。f^_^;

知らず知らずのうちに時間が過ぎているのです。

 話が長けりゃいいってものでもないということは判っているのですが。

もう一つ、話が長くなってしまう理由がありました。

今はインターネットなどで情報をすぐに検索して調べることができますから、美容関係で自分の興味のある内容をすぐに把握することができます。

でもその弊害もあるようです。

なぜなら、ご自身の症状とはまったく関係のない内容を心配されている方や、まったくのデマのような情報を信じている方が多くなったのです。そのため、それらの内容を訂正したり説明したりすることも増えたので、時間がかかるようになったのです。

 

今では、私が医者になった頃に比べれば、だいぶ柔らかい感じのお医者さんは増えているとは思います。

それがいいのか悪いのかは判りません。 

なぜなら、医者としての資質はこれ以外にもたくさんありますし、最終的には医師がシャンとしていないといけないと思うからです。 

柔らかくても、歯ごたえが合って、腰がある、なんだか食材のようですね。(・_・)エッ....? 

私にとっては、今の私が私の中で考えている、現時点での「医師らしい医師」なので、この調子がこれからも続くと思っています。

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2008.03.17  心と体の関係(妄想編)

心と体についての係わり合いを考える時に、私にはある一連のイメージがあります。

「体」を「車」にたとえると、「心」は「ドライバー」に該当すると思っているのです。

もう少し厳密に言えば、ドライバーは車における視力であり、聴覚でもあるわけです。

車も最初は新車ですが、走り続けているうちに徐々に各部品に消耗による劣化が起こります。まさに体と同じですね。「車検」はいわば「定期健診」であり「人間ドッグ」でもあるのです。

 

また、車との接し方も様々です。

車を単なる移動する道具としてしか見ない人もいれば、運転技術を上げようとする人、車の装飾にこだわる人、単に目立ちたい人など、車との接し方で性格も見えてきます。

美容的なことを好まれる方は、この分類でいうと車の装飾にこだわる方と言えます。

「美しさ」というこだわり方にもいろいろありそうです。こまめに拭いてきれいにすることにこだわる人と、ボディの色や模様にこだわる人、ホイールベースなどパーツの個性を向上させようとする人などです。

逆に車よりも自分の運転マナーや技術を上げようとする方は、人間でいいますと、いわば精神修行の好きな方といえるでしょう。

ドライバーのマナーと技術のみの向上を目指し、どんな車であろうがそれは二の次という方は、精神論を重視される方と言えそうです。

 

さらに妄想?を進めていきます。

普通、人の性格は単純には見えないわけですから、車でいいますと車の窓ガラスがいわばスモークのようになっているということでしょうね。もっとも、運転手にとっても、助手席や後部座席との間に見えない仕切りがあるのでしょう。

となると、スピリチュアルにいろいろ見える人というのは、窓ガラスが透明に見えて中の人が見える人なのでしょうか。

では車の後部座席や助手席に座っている人がいるとしたら、その人は誰なのでしょう?

ひょっとしたらグループソウルなのかもしれませんね。

文字通り「後ろの人」ですね。(^_^;)

たとえ、運転手は見えなくても、走行中の車の 様子を見ていると、性格がわかるということがあるものです。こんなことを考えると、車の運転も面白いですね。

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2008.03.11  アクセプタブル・エイジングの先にあるもの

 私は、「加齢」の向こうにある「死」への恐れも、アンチ・エイジングに気持ちが走ることに拍車をかけているのかもしれないと思っています。

現実的には、認知症になることへの不安や、動けなくなることへの不安があると思います。

自分もつらいし、周りの者にも迷惑がかかるということで、不安だらけになります。

これは実際にどうなるかはわかりません。

私もポックリ死ぬかもしれないし、寝たきりになってしまうかもしれません。

家族やもし施設にいれば施設の人に、それなりの迷惑をかけることになるでしょうね。

 

ここに至っては、私も回答と呼べるものは持ち合わせておりませんが、考え方が一つはあります。

 

初期の仏教の経典に、「一夜賢者の偈」があります。

これは短いお経です。

 

一夜賢者の偈中部経典131

 

過ぎ去れるを追うことなかれ

未だ来たらざるを願うことなかれ

過去 そはすでに捨てられたり

未来 そはいまだいたらざるなり

 

されば現在するところのものを

それがあるところにおいてよく観察すべし

揺らぐことなく 動ずることなく

そを見極め そを実戦すべし

ただ今日まさになすべきことをなせ

 

たれか明日死のあるを知らんや

誠にかの死の大軍と逢わずというのはあることなし

かくのごとく よく見極めたるものは

心をこめ昼夜怠ることなく実戦せん

かくのごときを一夜賢者といい

または心鎮まれるものとはいうなり

 

「一夜賢者」というのは、お釈迦様のように完全に悟りを開いたという人(賢者)は非常に少ないが、一晩くらいの短い時間であれば「悟り」に近づける人はいるだろうということで名づけられたそうです。

今風に言えば「プチ賢者」です。
また、言葉を作ってしまいました。(^_^;)

 

私はこの偈が好きなのですが、何故この偈をここに書いたかといいますと、御覧のように「今」と「死」について両方とも書いてあるからです。

「たれか明日死のあるを知らんや   誠にかの死の大軍と逢わずというのはあることなし」と書いてありますように、「誰でも明日にでも死ぬかも知れないのだ。今までにも死ななかったという人はいないのだ」ということです。

一夜賢者は、昨日も未来も重視しません。

あるのは「今」だけであるという考えです。

 

この偈を私のなかで解釈すると、

 

今までのことにもこだわらず

未来のことにも不安を持たず

今、目の前にあることをよく観て

楽しみながら、やるべきことをやろう

いつ死ぬかはわからないが

少なくとも死ぬまでは、何かを、やれることをやろう

ジタバタするしかできないなら、しっかりとジタバタしよう

それでOK
 
 
これは私の理想ですから、今この心境には至っておりません。(^_^;)
 
今後私の運命がどうなるかは、わかりません。
この考え方も変わるかも知れません。
 
でも、それまでは、こんな感じで生きたいと思っています。 
 
なんだか、アクセプタブル・エイジングからここまで来ちゃいました。
いいんですかね。 
 
まあ、人生や生き方を見つめながら診療を行う美容クリニックが一つくらいあってもいいでしょうか。 

 

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2008.03.11  アクセプタブル・エイジング的生き方

アクセプタブル・エイジング」は、今の自分を認めた上で、さらに磨きをかけていこうという考え方です。

そして、物質的・現実的思考を重視した方にとっても、精神面を重視した思想に重きを置かれている方にとっても、共存できる考え方なのです。

「心に起こった思い」を元にしてこれからのアクションを開始するのですから、単に選択肢が違うだけです。

それぞれが立派な一手なのです。

だから、言い換えればこの人生で「自分で納得した一手」を打って欲しいということです。

ただ、何をするのもありといいましたが、「周りがするから自分もする」ではなく、「自分にとっては~だから~したい」という考え方を持つことは必要ではないでしょうか。

自分の心で決めたこと」を優先してください。 ただし、自分と他人に危害を加えることは駄目です。人間はただでさえ大なり小なり周りに迷惑をかけているのですから。

 

今の社会では多くの誘惑するものが出現し、次から次へとめまぐるしく移り変わっていきます。

ですから、自分で「今何をすべきなのか」「自分は何がしたいのか」を見極めていかないと、自分の生き方がわからなくなります。どうしても周りを見てしまうし気になってきます。その結果「比べてしまう」ということをやってしまいます。

「比べる」人生で一番楽な生き方は、「回りを見ながら、なんとなく流れに乗っていよう」という生き方です。そういう人生も、言ってみれば「一つの人生」ですから、否定はしません。死ぬ時に「この人生でよかった」と思えるのでしたら、それでいいです。

 

ですが、もしも自分の生き方を変えたいと思われる方は、定期的には自分の生き様を見直すことが必要なのではないかと思います。

「これでいいの?」「他にやるべきことはないか?」という気持ちです。

自分の生き方を決めるための材料として周りを見つめることは、有意義なことだと思います。

そして、自分の次の一手を納得して、容認して(アクセプトして)打つ歳の取り方(エイジング)をしていれば、いつの間にか時間は経っています

それでよいのではないかと思います。

楽しいひと時って、時間の経つのが早いですね。それと同じに考えてください。

 

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2008.03.10  心身まとめて容認しよう

今の自分に満足するも良し、気になるところがあれば治そうとするも良し、そのままを容認するも良し、変わりたいと思う自分も容認することです。

私は、「年なんだから仕方ないのだ」とか「年なんだから諦めろ」と言っているわけではありません。

逆に「そのままでいいんだよ」とだけ言いたいわけでもありません。

「今の自分を変えたい」という気持ちが起こるようであれば、その気持ちも容認しますし、「今のままでいい」と考えるなら、それでいいと言っているのです。

なんでもありです。

ただ、大事なことはその気持ちが「諦め」の気持ちからくるものであったり、現実を逃避または否定している状況ではいけないと言うことです。

納得の上で「今のままでいい」と思う場合はそれでよいのですが、もしも現状に満足しているわけではないのなら、対応策を考えた上で現状を維持するのか何かするのかという判断をしてほしいのです。

だから、その方にとって必要があれば「いわゆるアンチ・エイジング」も肯定しているのです。いかなる手段を選ぼうとも、その運命を背負えばよいのです。

その運命を背負うというとなんだか大変そうですが 、そういう意識を持つだけで違うと思うのです。これは私も以前日記に書いたことがあります。

現実的に、私もいわゆるアンチ・エイジングとしての施術を行っております。そのことを否定する気はありません。むしろ、「現状を何とかしたい、改善させたい」という気持ちを尊重したいのです。


人生を「学び」と表現すると、「どの手段を選んでも、それぞれにおける学びがある」ということになります。 

 

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2008.03.10  「あるがまま」と美容との折り合い

「あるがままでいいんだよ」という考え方ですが、私は、これは基本的に「今、悩みなどを持っていて不安な気持ちが強い人」にとっての一種の治療薬のような言葉と思います。

たとえば、他人と自分を比べることで強い劣等感を持っている人 や自信をなくしている人は、幻であるにもかかわらず自分が作ってしまった基準より自分を下に置いています。

そういう人に対して、「比べることはないんだよ。自分は自分でこの世に一人しかいないかけがえのない存在なんだ。そのままの自分に自信を持ってください。 」というメッセージをこめての言葉と思います。

いわば病気の人に治療薬を投与するようなことです。そう理解することで、気持ちが楽になる人への薬です。 

すでに日ごろから「あるがまま」 に生きられている方は、おそらくこのような悩みは持たないはずです。ですので、そのような方には「あるがまま」というメッセージは不要なのです。

ちょうど健康な人に薬が必要でないのと同じです。 

 

それから、この「あるがまま」とはどこまでの範囲をさしているのでしょうか。

実は、この解釈が美容との折り合いをつけることになるのです。

私は、「あるがまま」とは身体のみのことをさしているのではなく、その身体に共に存在する「心」もさしていると考えます。つまり「あるがままの心でいいんだよ」ということです。

ですから、もしも今の自分の身体について悩むことがあってそれを治したいと思うのなら、その心に起きたその思いもあるがままでよいと考えるのです。

ということは、もしもシワを治したいと思う人はそうすれば良いし、頬のたるみの治療をしたい という方は、ご自身の方針に合った手段を選べばよいのだと思います。

つまり、「あるがまま」という考え方も美容的な治療を受けたいという気持ちも共存できるということになります。

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2008.03.10  アンチ・エイジング治療を望みたくなる理由

 

 アクセプタブル・エイジングはまずは自分の「加齢」を容認することです。

 

少なくとも否定したり、逃避してはいけないのです。できれば楽しむくらいの境地である方がいいと思います。

しかし、そんなことを言うと、「年を取ることを楽しめるわけがないじゃないの!」という声が聞こえてきます。

そもそも何故アンチ・エイジングを望みたくなるのでしょうか?

「綺麗でいたい、または維持したい」、「体力を維持もしくは増進したい」という欲望も理由の一つでしょう。

他には、現時点で結構ご自身の「美」に自信、満足感がある方もおられるでしょう。その方たちの場合は、「今の優越感やプライド、自己満足感を維持したい」をいう気持ちもあると思います。しかしその結果、際限なく続く欲求から「あせり」などを感じて、その状況に対抗しようとします。そして、さらなる焦りを生じます。

これらの状況の根源はなんでしょうか。私は、そのキーワードは「何かと比べる」だと思います。

何と比べているかというと、「昔の自分」であったり「今、自分の周りにいる自分より若い人たち」であったりするのです。

「比べる」ことは「基準を作る」ということになります。その基準から判断しているのです。

でも、その基準って絶対的な、普遍的なものでしょうか?

「昔の自分」といってもいつごろの自分を基準にされるのかで違ってくるでしょう。また、周りの人と比べる場合も、その周りの人たちの年齢層が違えば、当然比較した結果も違ってきます。

そして一番大事なポイントになることは、その「判断」自体を、その人自身が行うということです。ですから、これも人によって違ってくるのです。

私の外来にも、顔のシワを治したいという希望で来られる方もたくさんおられますが、皆さんそれぞれ治したいといわれる部分が違っています。

額のシワを気にされる方もおられれば、いわゆる法令線を気にされていたり、目じりのシワであったりします。

今度は「それぞれ顔が違うのだから当たり前じゃないの!」と言われるかもしれませんね。(^_^;)

だとしたら、「比べること」はどうなのでしょうか。やっぱり無理があるとは思いませんか?

自分自身も時間と共に変わっていく存在なのです。と、同時に周りの他人とも考え方が違うのです。

そうだとしたら、客観的に比べることができる基準はどこにもないとは思えませんか? 

結局「比べる」ことは、「今の自分」を否定していることと同じなのです。

 

「比べてはいけないのだったら、今のままでいいんじゃないの?治そうとする事もいけないのじゃないの?」 という方もおられるでしょう。

確かに、「人間はあるがままでよい」という考え方があります。

書店で、宗教や思想に関する書籍をおいてあるところには、 そのような考え方について書かれている本がたくさんあります。私も何冊か読んだことがあります。

それで私も悩んだことがあります。「あるがままでよい」という考え方からいうと、私が行っている形成外科、美容外科の領域の治療は間違っていることにはならないか?という疑問です。 

これについては、次回にしましょう。 

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2008.03.08  アクセプタブル・エイジングって何?

アクセプタブル・エイジングとは、今までに書いていますように、私の造語です。

 

私の中にあるイメージを書きます。

 

1 まず結論から書きますが、自分の「老い」を楽しむことです。少なくとも今の自分を否定したり、逃避してはいけないと思います。そんな戸籍年齢にはこだわらないことです。

 

今の自分をまずは認めること。ここからスタートします。その結果、今の自分に満足するも良し、気になるところがあれば治そうとするも良し、そのままを容認するも良し、変わりたいと思う自分も容認するのです。

仏教では「心身一如」という言葉がありますが、まずは「身」を認めるのです。そしてそれに対応する「心」の動きも認めるのです。そうしてバランスの取れた「心身」にするのです。

 

3 だから、「いわゆるアンチ・エイジング」も肯定しています。美容手術もケミカルピーリングもシミのレーザー治療も肯定しています。「治したい」という心の願望も認め、応援するのです。ですから、「このシワを取りたい」というご希望も「このシミを取りたい」というご希望もOKです。また、「私は今のままでいいです」という方がおられても結構なのです。その時のご自身の体と気持ちを大切にしてください。

 

4 しかし、あくまでも「アンチ」ではありません加齢に対抗するわけでも、戦うわけでもないし、そもそも勝てるものではないのです。太陽が東から昇り西に沈むのを止められないように、「加齢」自体は不可避なことであると認識することが大切です。

 

5 高齢になってきますと、「老い」の向こう「死」を漠然と感じたり、恐れたりすることも、アンチ・エイジングに拍車をかけているのかもしれません。

 

6 「不老不死」を追い求めることは「現代の錬金術」と同じであると思います。少なくとも、今の医療ではまだ完成されていません。しかし、この人生を意味のあるものとするために、肉体を管理することや心を見つめることは意義のあることだと思います。

言い換えれば「不老不死」ではなく「満老満死」です。

また、造語を勝手に作ってしまいました。

これは「満ち足りた老」であり、「満ち足りた死」です。これは充実した人生をおくり、しっかりと生きた後、この人生に納得して死を迎えることです。

 

7 「北風と太陽」という童話がありますが、この童話での北風と太陽の立場から言えば、アンチ・エイジングは力ずくでコートを脱がそうとした北風でしょうか。一方、アクセプタブル・エイジングは無理矢理という考えではなく、本人が納得の上でコートを脱ぐようにさせた太陽的発想になります。

 

8 アクセプタブル・エイジングは、「今の自分」を認めた上で、さらに磨きをかけていこうという考え方です。

 

9 現実的に顔のシワ治療をされたい方も、「加齢」を精神面から考えようとする方も、すべて心の反応であると認識し、肯定します。極端に言えば、それぞれの方の「脳の反応」なのです。

 

以上、徒然なるままに書きましたが、今後は詳しく説明していきます。

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2008.03.08  アンチ・エイジングが「アンチ」でないとすると

前日の続きです。 

アンチ以外にアンチ・エイジングと類する内容を意味する適切な言葉はないのでしょうか。

 
話は変わりますが、私が大学を卒業してすぐに入った医局は整形外科でした。

もう25年以上も前のことになりますが、その頃のことに実は「キー・ワード」があったのです。

その整形外科は街中の総合病院で、整形外科の中で専門ごとに別れて診療をしていました。そして、部長先生は病院長も兼任されていましたが、専門的には「外傷」を担当されていました。整形外科領域で外傷を扱うということは、骨折を扱うことになります。

その部長先生が骨折を整復してギプス固定をしたあと、レントゲンで確認する時に良く使う言葉がありました。

「よし、これでアクセプトしよう」です。

 

このアクセプト(accept)ですが、意味は受け(入れ)る, 受け取る,受諾する, 応じる,容認する、という意味です。

先生の技術は素晴らしかったので、治療結果は勿論良いのですが、言葉の意味からいうとすべてを受け入れるということになります。 

先生は「この状態、結果を受け入れよう」という意味で言われていたのだと思いますが、このアクセプトという単語は、「アンチ」の代わりとして私のイメージにピッタリ来るのです。

 

という訳で、アクセプトの形容詞であるアクセプタブル(acceptable)が候補になりました、というか「これしかない!」という感じです。

これで私の中でのエイジングに対するフレーズが出来上がりました。

 

アクセプタブル・エイジング」です。

直訳すれば「容認する加齢」です。

 

ちなみに「適切な」という意味では、他にもスイータブル(suitable) という形容詞があります。

意味は「適当な、好都合な 、似合う」です。ただ、suitという名詞には、「都合が良い、適合する」という意味のほかに名詞では「訴訟、告訴」という意味があるので、ちょっとひきました。なんかいやですね。

他にも、フィット(fit)という単語があります。これは、「適当[至当]な、適した、適任の、健康な」という意味があるので良いと思うのです。

ただ、「フィット・エイジング」では、発音がなんとなくしっくりしないという気がします。

 

ということで、私の中では「アンチ・エイジング」に代わる言葉は「アクセプタブル・エイジング」に独断的に決定しました。

(^_^)v

 

このアクセプタブル・エイジングの意味は次回に書きますが、大事なことですので先にちょっと言っておくと、単に「そのままがいい」とか、「諦めろ」という意味ではありませんよ!

 

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2008.03.07  アンチ・エイジングへの疑問

一般的には、アンチ・エイジングというフレーズが普及しています。私も使用していますから、当たり前ですね。(^_^;)

 

そもそも、アンチエイジングの「アンチ」は、抵抗や反抗など、「~でない」や、「反対の~」という意味です。また、アンチエイジングの「エイジング」の意味は、加齢など、歳をとることや時間経過に伴って衰退する過程を指しています。

ということは、アンチエイジングとは「加齢に抵抗する」という意味を持ち、抗老化とも呼ばれ、老化を防止することとして若返りの意味にもなります。

その若返りを目的とした医療や美容、整形などは、アンチエイジング医療や抗老化医療といわれています。

そう書いてあります。

「そう書いてあります」と書いたのは、この言葉が普及しており、一般的に認知されている言葉だということです。だから、コミュニケーションの目的では使用していますが、私個人はアンチ・エイジングという言葉自体に実は「抵抗」があるのです。

(・_・)エッ....? 

ということは、「アンチ・アンチエイジング」になってしまいますね。

f^_^; そうなると「裏の裏は表」という屁理屈を言いいたいだけなのか、ということになりますが、そういう単純な理由ではありません。

逆に言えば、本当に「若返り」は可能なのか?ということです。

一般的に世間で行われていることは、その年齢における健康を増進していること、年齢よりはしわが少ないなどの肌質改善、年齢に比較しての体力増進であり、あくまでも「若かった頃の再現」です。

実際に細胞が若返っているわけではありません

免疫学では、「抗体」と「抗原」という言葉があります。

この「抗体」は、英語では「アンチボディ」と言います。まさに直訳ですね。

抗原という人体に影響を与える物質に結合してその効果を無くします。いわば中和することでその効果をプラマイゼロ、チャラにする物質です。

ですので、この「抗体」の「抗」は意味があるのです。「対抗」するべき対象物が存在するからです。

しかし「アンチ・エイジング」の場合はそうなのでしょうか。

その対抗すべき対象である「加齢」は、実際に対抗できるものでしょうか?

勝てるものでしょうか?

私は、現実的には「加齢は不可避なこと」と認識しています。

以上の理由から、「アンチ・エイジング」と言う言葉自体には抵抗を感じていいるのです。

 
でも、診療内容にはまったく影響ありません。

施術は施術としてちゃんと行っておりますから、ご安心ください。

 

ただ、この話はさらに先があるのです。結論から言いますと、実は私の中ではこの問題は「腑に落ちている」のです。

当分これに関するネタを続けたいと思います。

最近のバラエティ番組ではありませんが、このネタは引っ張りがいがあるのです。

と言うよりは、私がくどい性格で話が長いからだけ

かもしれませんが。(^_^;) 

とりあえず、今日はまず「起」です。

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2008.03.06  自分に合った仕事?

最近は、養老孟司先生の著書にはまっています。

書かれていることがすんなりと入ります。

 「超バカの壁」という本の中で面白いところがありました。

「自分に合った仕事」なんかない、という内容です。 ちょっと抜粋します。

 

どうも現状に満足しておらず、何かを求めている人が多いらしい。

(中略)

働かないのは「自分に合った仕事を探しているから」という理由を挙げる人が一番多いという。これがおかしい。二十歳やそこらで自分なんかわかるはずがありません。

(中略)

仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるもんじゃない、と言いたくなります。 仕事は自分に合っていなくて当たり前です。私は長年解剖をやっていました。その頃の仕事には、死体を引き取り、研究室で解剖し、それをお骨にして遺族に返すまで全部含まれています。それのどこが私に合った仕事なのでしょうか。そんなことに合っている人間、生まれつき解剖向きの人間なんているはずがありません。

そうではなくて、解剖と言う仕事が社会にある。ともかくそういう穴がある。だからそれを埋めたと言うことです。

(中略)

社会、仕事とはこういうものです。いいところもあれば、悪いところもある。全部あわせてゼロになれば良しとする。

(中略)

合う合わないとかいうよりも大切なことは、いったん引き受けたら半端仕事をしてはいけないと言うことです。

(中略)

「秀吉の草履取り」は、豊臣秀吉の頭の良さを表すためのエピソードだと思われるかもしれませんが、そうではありません。本気でやることの大切さを教えているのです。秀吉は本気で草履取りをやった。

始めから本気でやれば、あそこまで偉くなれるという話しです。だから本気で仕事をしろと教えているのです。

 

以上です。 別にこれが真理だと断定するわけではありませんが、この内容で何かを、ヒントをもらったという人もいると思います。

道元禅師が書いていますが、仏教も超無茶苦茶簡単に一言で言うと「ちゃんと生きろ」ですもんね。

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