院長の日記
2008.07.25 お釈迦様とウルトラマン
なんちゅうタイトルでしょう。
罰当たりなのか、アホなのか、その両方か。
お釈迦様は対機説法といって、相手に合わせて説法することができたといいます。
私は凡人なので、そんな事はできません。
理想は、打たせてとるピッチングみたいなものですが、まだまだです。
となると、どうするか。
その時、その瞬間の私をぶつけるしかない。
ぶつけるといっても体当たりではありませんよ。(^_^;)
今の私をまるまま、100%使いたいということです。
でもそれが最善になるかどうかは別ですが。 それでもいいんです。
だって、それしかないからです。
いかなる展開でも、そうありたいと思っています。
「その場限り」って言葉は、辞書には(其の場限り)ただその場、その時だけであること、と書いてあります。
一般的にはいい印象の言葉ではないようですが、その場を燃焼させるという意味で重要な意味にとらえています。
そういえば、「その時に全てをぶつける」というお手本がいました。
胸のランプが赤になってからのウルトラマンです。
それにしても、何故最初からスペシウム光線を出さない?
水戸黄門の印籠と同じく、それが演出だから。
ジュワッチ!(^_^;)
2008.07.23 顔
他人の顔を見ていて気になることが時々あります。
特に朝の出勤時の電車の中 眉間に立てジワ、口がへの字の人があまりにも多いのです。
本当につらい人もいるでしょうけど、自分で自ら人生を難しく考えている人もいるのでは?
もっと穏やかな顔はできないのかなと思ってしまいます。
独り相撲はしていませんか。
自分の周りに棘や壁を作っていますよ。
そうやらないと生きていけない社会なのでしょうか。
先日、ぶつかりそうになっただけで相手の女性に「このババア!」と怒鳴っている若者がいました。
ここまでくると、もう気の毒に思ってしまいます。
所で話は変わりますが、自分の顔は自分の所有しているものですが、自分で直接観ることができないものでもあるのです。
そういうこと考えたことありませんか。
だって鏡で見たって、左右反対だから実際の顔ではありません。
「顔」にはそういう特徴があるんですね。
みんなそうですよ。
例外はない(幽体離脱できると思う人は除く)。
自分が所有しているものなのに、生で見ているのは周りの人だけ。
2008.07.16 今までは・・・・
「今まではよかったのに、なんで? なんでオレ(私)のときになってこうなるの? めちゃめちゃ損じゃん!」
これは日常でもしばしば感じることがあるでしょうね。
よく考えたら、今はこのフレーズで満ちています。
1 今のお役人に対する「天下り」に対して批判がきており、これからはむずかしいかも
2 今の社会保険事務所の人たちは、今までのシステムのツケで超忙しくなる一方、いろいろな福利厚生が取りざたされている
3 医療でも保険診療点数が引き下げられ、かなりの減収になる一方で責任がどんどん重くなっている
4 お役人も今まではタクシーによる大名帰宅ができたのにこれからは駄目になる
5 地球温暖化問題で、これから発展していこうと考えている国も都市化、工業化を自粛せざるを得ない
他にも結構思いつきますが、これくらいに。
それにしても、共通のフレーズだとは思いませんか。
この「なんで?」はこれからも頻繁に出てくると思いますよ。
5の問題だって、人口の多い某国はそう思っているでしょうね。
だって歴史的に考えると、あのイギリスが工業革命を行っている頃なんて、石炭ですからバンバン二酸化炭素出していたでしょうから。
所で、上記の言葉を弱冠変えるだけで、別の意味合いを持ってきます。
「他はやってるのに、なんで? なんでオレ(私)のとこだけ見つかるの? めちゃめちゃ損じゃん!」
こうしたら、一連の食品の偽装問題になっちゃいますね。
ちょっと気の重くなるネタになっちゃいましたね。 (-.-;)
2008.07.09 (愚者+賢者)=?
なんか数式のような表現です。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのはビスマルクの言葉だそうです。
しかし実際のところ、ビスマルクは「政治家の仕事は歴史から学び、それを今の政治に生かすことだ」といっただけで「愚者は経験から学ぶ」とはあとからつけたされたのだそうです。
歴史から学ぶことは難しいと思います。
なぜならそれが適切な道かどうかまではわからないからです。
私は個人的にはこの言葉が好きなほうではありません。
かといって、嫌いというわけでもありませんが。
ある一面しか表現していないと思うからです。
人間の行動なんて、そんな簡単に割り切れるものではないと思っているからです。
この「賢者」は現代風に言えば、いわゆるマニュアル人間にもなりかねません。
経験することを愚者と呼んでいますが、誰でも最初は経験しないとわかりません。
時には、痛い目にあわないとわからないことだってあります。
勿論、殺人や傷害など経験してはいけないことがありますから、それを「賢者的に」学ぶことは必要だと思います。このようなことを行えば、これは勿論「愚者」です。
個人的にですが、この言葉のあとに補足したいのです。
生意気なことであり、罰当たりであることは重々承知しております。
「あるときは愚者になり あるときは賢者になる
それを学ぶのが人生である 」
「経験」も大切、「歴史」も大切ということですね。
人間はだれでも(愚者+賢者)だと思うのです。
その割合に個人差があるのでしょうね。
まさにブレンドコーヒー?です。
前にも書きましたが、サマセット・モームが彼の回想録「サミング・アップ」で似たようなことを書いています。
「人間について、もっとも私を驚かせたのは、彼らが矛盾に満ちているということだ。首尾一貫した人間など、ただの一人もお目にかかったことはない。
まったく相容れない諸性質が同一人物の中に存在し、それでいて、もっともらしい調和を生んでいるのには驚かざるをえない。」
ここにつながっちゃったんですね。
もっとも、私自身は日ごろから愚者とか賢者とかはあまり考えていません。
愚者にしても、賢者にしても、なにをもってそう判断するのかという推し量るものは何もないからです。
(^_^;)
2008.07.01 自灯明 法灯明
世の中の 人は何とも言わば言え 我が成する事 我のみぞ知る
これは坂本竜馬が作った歌と言われています。
私も好きな句です。
さすがは竜馬だと思いますが、実はこの歌が書いてある記事で、最近気になる事がありました。
今年3月、土浦8人殺傷事件の容疑者が中学校卒業文集でこの歌を書いているのです。 これはある意味ショッキングな記事でした。
「自分がやること、考えていることは、誰もわかってくれない。」という発想までは、誰でも通過することだと思うのですが、問題はそこからの進み方です。
前の日記の3 いくら努力しても伝わらないものだから、伝える必要も無い。自分勝手、自分本位でよいという発想です。
「どうせわからないから」と、人とコミュニケーションをとることを逃げています。
その一方で、自分の考え方を拡大させていきます。
しかし、「個」を過剰に発展させていくと必ず周りとぶつかってしまいます。
今は「わからないからこそ、人と接するようにしていく」ことができないというか、下手な人が多いような気がします。
その結果、メールが氾濫していきます。 相手と会わずに事が済みます。
この、「人はわからないものだ」という考えからの分岐点は、たとえば包丁の使い方と同じじゃないでしょうか。
ちゃんと料理に使うのか、殺傷目的に使うのかでまったく別の世界になってしまいます。
自分の考え方を守るためなら、何をしてもよいというのでは、もう争いの世界、修羅の世界です。
わからないもん同士なのだけど、だからこそお互いを見つめる。
たとえ100%でなくてもいい。
すこしでも、お互いがつながれる接点を見つけよう。
そこから違った世界になっていくことも可能です。
お釈迦様は、亡くなる前に弟子たちに「自灯明 法灯明」と言ったと書かれています。
これは弟子たちに「私を頼りにするな。自分自身を生きる拠り所にしろ」と伝えたかったのだとおもうのですが、それだけではありません。その後に「法も拠り所にしろ」とも言っているのです。
自分を拠り所にするだけでは、間違えば自己中になってしまいます。
では「法」ってなんでしょう。
私自身は、「人間は社会で生きていく以上一人じゃないのだから、周りの人ともうまくやっていけよ」と言いたかったのだろうと、勝手に意訳しています。
この人生はたった1回しかないのです。
せっかくこの世に生まれてきたのです。
「人間」として、「人の間にいる者」として、学ばないともったいないと思うのです。
でも、書いていて思います。やっぱ、結局これも「欲」ですね。(^_^;)
この世には、いろんな「欲」があっていいのです。
妄想じみたことを書いていたら、ふと気がつきました。
今年ももう半分を超えたのですね。
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ||||||
| 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
| 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
| 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
| 30 |
カテゴリアーカイブ
最新の記事
月次アーカイブ
- 2008年11月
- 2008年10月
- 2008年09月
- 2008年08月
- 2008年07月
- 2008年06月
- 2008年05月
- 2008年04月
- 2008年03月
- 2008年02月
- 2008年01月
- 2007年12月
- 2007年11月
- 2007年10月
- 2007年09月
- 2007年08月
- 2007年07月
- 2007年06月
- 2007年05月
- 2007年04月
- 2007年03月
- 2007年02月
- 2007年01月
- 2006年12月
- 2006年11月
- 2006年10月
- 2006年09月
- 2006年08月
- 2006年07月
- 2006年06月
- 2006年05月
- 2006年04月
- 2006年03月
- 2006年02月
- 2006年01月
- 2005年12月
- 2005年11月
- 2005年10月
- 2005年09月
- 2005年08月
- 2005年07月
- 2005年06月
- 2005年05月
- 2005年04月
- 2005年03月
- 2005年01月
- 2004年12月
- 2004年11月
- 2004年10月
- 2004年09月
- 2004年08月
- 2004年07月
- 2004年06月
- 2004年05月
- 2004年04月
- 2004年03月
- 2004年02月
- 2004年01月
- 2003年12月
- 2003年11月
- 2003年10月
- 2003年09月
- 2003年08月
- 2003年07月
- 2003年06月
- 2003年05月
- 2003年04月
- 2003年03月
- 2003年02月
- 2003年01月
- 2002年12月
- 2002年11月
- 2002年10月
- 2002年09月
- 2002年08月
- 2002年07月
- 2002年06月
- 2002年05月
- 2002年04月
- 2002年03月
- 2002年02月
- 2002年01月
- 2001年12月
- 2001年11月
- 2001年10月
- 2001年09月
- 2001年08月
- 2001年07月
- 2001年06月
- 2001年05月
- 2001年04月
- 2001年03月
- 2001年02月
- 2001年01月
- 2000年12月
- 2000年11月
- 2000年10月
- 2000年09月
- 2000年08月
- 2000年07月
- 1999年12月


