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院長の日記

2008.09.08  過去の事実

私は今まで歴史は変わらないと思っていました。

「過去の事実」は変わらないけど、「それにかかわった人の受け取り方」が変わるかもしれないだけなのじゃないかと。

でも、それで十分大きな変化ではないかと思い直しています。

「見方」が変われば「歴史」が変わったことになると思っています。

なぜなら、全ての「過去」は今には存在しないからです。

 

所詮、過去の「事実」というのは、脳の中の「記憶」という曖昧な情報に過ぎません。

たとえビデオなどの映像に収められているにしても、「空気」や「思い」まではわかりませんし、あくまでも一面的な情報です。

映像フィルムも舞台劇と変わらないのです。

フィルムの枠に映っていないところ、つまり舞台裏は計り知れない。 これは戦時中の士気高揚のためのニュースフィルムが典型的な例になります。

 

まして「絵」や「文章」であればなおさらです。 その作者の思いひとつでどうにでもなるのですから。

 

ですから、歴史という「過去の事実」すら正確なものではないと思うのです。

 

たとえば「恨み辛み」や「過去の自慢話」などは、感情が入ってきますからかなり作者サイドに偏った脚色のフィクションに変わっているのではないかと思います。

 

また、たとえば「忠臣蔵」は小説でも、映画でもたくさんの作品があります。

これも、作者の意図によって、いかようにも「表現できる」というか「ゆがめることができる」という例だと思います。

 

実際の過去の事実は、記録に残されているストーリーの通りだと思いたいのですが、当事者の思惑によって人物像や状況設定がかなり脚色されてしまいます。

 

でも、こういうことは是非を問うようなことでもありません。

ただ、そういうもんじゃないかと思っているだけです。

 

歴史的な事実に限らず、自分の過去の出来事も同じでしょう。

誰でも、過去に対する自分の記憶も、結局脳の中で似たような保存の仕方をしているのだろうと思うのです。

事ほど左様に、人の記憶、思い出とは曖昧なんじゃないかということです。

投稿者 横浜FCクリニック形成外科 (11:15) | PermaLink
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