横浜FCクリニック形成外科

横浜FCクリニック形成外科院長の日記

2008.12.27  ありがとうございました

今年もあと5日となりました。

皆様、ありがとうございました。


来年は先の見えない状況だと言われますが、何とかみんなで乗り切りましょう。

 

最後に、好きな言葉です。

何事も有難いにて世に住めば、 向かう物事有難いなり

黒住宗忠

この言葉は、シンプルにしてダイレクト。

今だからこそ、使ってみたい言葉だと思いました。

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2008.12.25  第五の山、再び

今は先の見えない世の中であり、多くの方々の「不安」がひしめき合っています。

(-.-;)

こういう世の中だからこそ、一人ひとりが自分の考え方も見直す必要があるのではないかと感じています。

この「不安」は不可避なものでしょうか。

自分で作っているものではないでしょうか。

自分の脳の中の一つの思考に過ぎないのではないでしょうか。

確かに、その方にとっての「現実という事実」があるのは言うまでもありませんが、感情という着色を過度にしていないでしょうか。

 

そう思っているときに、ふと以前の日記を見ていると、昨年の11月12日と14日に書いている日記に目が止まりました。

 

世の中に起こっている「うまくいかないこと」に対しての思いです。

パウロ・コエーリョは、「第五の山」で彼なりの、それに対する一つの答えを書いています。

ここに、再びこの抜粋を書きたくなりました。

あらためて、その一部を書きます。

そうです。自分の歌のカバー曲みたいなもんです。f^_^;

私の日記だから、それでいいのだ。

 

悲劇は起こる。その理由を発見し、他人を恨み、それが無ければ自分の生活がいかに違ったかを想像することもできる。

しかし、そんなことはみな大切ではない。

悲劇は起こる。だから、そのまま受け入れるのだ。

そこから先は、自分の中の恐怖を脇に置いて、建て直しを始めなければならないのだ。

(中略)

時には神と争うことも必要なのだ。

人間は誰でも、その人生で悲劇に見舞われることがある。

住む町の崩壊、息子の死、誤った告発、病気による体の障害などだ。

その時神は、自分の質問に答えるよう、人間に挑戦するのだ。

(中略)

神が望んでいるのは、一人ひとりの人間が、自分の人生の責任を自らの手に握ることだからだ。

主は自分の子供たちに、最高の贈り物を与えているのだ。

それは自らの行動を選択し、決定する能力である。

(中略)

心に聖なる炎を持つ男女だけが、神と対決する勇気を持っている。

そして彼らだけが、神の愛に戻る道を知っている。

なぜならば、悲劇は罰ではなくて挑戦であることを、彼らは理解しているからである。

 

天使がエリヤに言った言葉

もっとも難しいのは、自分自身の道を決めることだ。選択をしない者は、息をし、通りを歩いていたとしても、主の目から見れば死んでいるのだ。

それに、誰も死にはしない。永遠の手はすべての魂に開かれており、みなそれぞれに自らの任務に励んでいる。太陽の下のすべてのことには、理由があるのだ

 

エリヤが天使に訴えた時の天使のことば

悲劇などない。あるのは、不可避な出来事だけだ。すべてはそうあるべき理由をもっている。お前は、一時的なものと、永続的なものを区別するだけでいいのだ

『一時的なものとはなんですか』とエリヤがたずねた。

『不可避なことだ』

『では、永続的なものとは?』

『不可避なことから学ぶことだ』

 

作者の前書きより

「アルケミスト」に出てくる言葉

お前が何かをしたいと望む時、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ

私(パウロ・コエーリョ)はこの言葉を心から信じています。

 

 

以上です。

宗教色の濃いことは否定しません。

でも、別に神や仏、大いなる存在を信じなくても良いのです。

私自身、キリスト教やユダヤ教の信者ではありません。

浄土真宗の檀家ではありますが、阿弥陀仏のみを信じているわけでもありません。

ただ、どこの領域からでも、 自分の心に響くことは吸収していきたいのです。

今の現実を、まっすぐに受け止めることが大切なのではないかと思っています。

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2008.12.25  和顔愛語

禅宗でいわれている言葉です。

和顔愛語(わげんあいご)と読みます。

穏やかな笑顔とやさしい言葉、思いやりのある言葉は、人間社会で必要なことだというのは当然なのですし、私も日常の中で努めるべきことだと思っています。

しかし、私自身がどこまでできているかは疑問ですが。(^_^;)

 

一方、通勤電車では逆に眠顔?や苦顔?が流行っています。

もっとも一人で和顔も、一寸退かれますか。(^_^;)

 

「笑う」ことについては、進化上色々な説があると思いますが、ユニークなのがあります。

草食動物は、肉食動物から身を守るために群れを作って暮らしていました。

そして寝るときには見張り役がいます。その見張り役が敏感に反応しすぎて、襲われる心配の無い時にもみんなを起こした場合に、「ごめんね~」的な鳴き方をするそうです。その筋肉の使い方がルーツだというのです。

真偽はわかりませんが、全例ではなくても、まあそういうこともあっただろうと思っています。

 

これは、「感情」という定義にもかかわる話になりますね。

「感情」というと、いわゆる喜怒哀楽を連想すると思いますが、人間以外の動物の場合は、仲間にある特定のメッセージを伝える時の伝え方の強調の仕方というか、微妙な強弱も含めているのではないかと私は理解しました。

ですので、私も人間の有する感情とは違うと思いますし、学者も違うだろうと言っています。

ただ、言葉で表現する場合には、大きな意味でこの「感情」という範疇に入れたのではないでしょうか。

 

それから解剖学的にも、感情の中枢である大脳辺縁系は爬虫類にもあります。

ですから人間の言う「感情」のベースがあると言う類推は無理ではないはずです。

しかし、実験による証明が難しいのだと思います。

こう書いているときに、面白いページを見つけました。http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3981171.html

このテーマを複数の人がコメントしています。

ある程度高等の動物には、少なくとも感情の原型はあるのではないかという意見が多いですね。

これを観ていると、動物に感情があるかないかという問題も、例えば「あの世」とか「天国、極楽」があるのかないのかという疑問と似ていると思います。

その動物から直接聞くことができないのですから、その行動などから間接的に判断するしかないのです。

それをどう考えるかです。

結局は「人間以外の動物に感情があるのかないのかという問題は、推論までしかできない」ということになると思います。

私は、発生学上から「感情」の原型はあると思っています。

 

和顔愛語から、進化に関する生物学になってしまいました。f^_^;

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2008.12.24  ぎりぎりセーフ

ようやく、年賀状を書くことができました。

毎年のことですが、土壇場にならないと書けません。(^_^;)

せめて、宛名書きは自筆でと書いておりますが、一気に書くとやはり疲れますね。

おとといの夜から書き出して、宛名書きが終わったのが翌朝の5時半。

いつもなら5時過ぎには起きているのですが、それから少し寝て8時半から他の家事。

日中は、挨拶を書く面の印字をしました。

そのあと、また便りを少しずつ書き足して、すべての終了が夜の11時過ぎ。

(・_・;)

 

年賀はがきを書いていていつも思うことは、日ごろご無沙汰している人の多さです。

遠方に住んでいる親戚など、どうされているのかなと思いながら書いています。

 

さらに今年は感じたことがあります。

それは、「喪中につき~」というお便りが多かったことです。

(-.-;)

自分の年齢を考えると無理もないなと思いますが、あらためて「所業無常」を感じます。f^_^;

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2008.12.13  道草

次男が英単語で「これ何?」と聞いてきても、まずは「ちゃんと自分で辞書で調べろ。」と言います。

辞書を引くという行動は面倒なようでも、意味があると思うのです。

そういえば、今の子供たちは電子辞書なんか持っているんです。

(・_・)エッ....? だから、辞書を引くのに時間がかかるんです。

 

単語によってはいくつもの意味があります。

その単語が文章の中で使われている意味がどれになるのかは、辞書を読まないとわかりませんし、時にはそれでもよくわからないこともあります。でもその行為自体が学びになるんですね。

また、単語を引くときに、その前後の単語を見ていて、偶然自分の興味のある単語に目が行って新たな知識になることもあります。(^_^)v

このような一見無駄に見える時間が持つ意味って大きいと思うのです。

 

私自身の経験からもいえることですが、なんかこういう「ひょんなこと」から、それまで抱いていた疑問に対する解答もしくは解答に結びつく切欠が生まれることも ・・・・・あると思います(私は吟じませんが(^_^;) )。

 

ここまで書いていて、「道草」を連想しました。

学校帰りの寄り道ですね。

辞書を引くこととは直接の関連性は無いんですが。f^_^;

 

道草といっても可愛いもんでした。

そういえば「道草を食う」という表現も面白いですね。 誰が食べるかよ、って思います。牛や馬を連れて歩いている頃の表現でしょうけど、いかにものんびりとした感じがします。

 

実は、私が小学校に通っていた頃は昭和30年代後半ですが、ある場所の側溝に沢ガニがすんでいたんです。

まだその周辺の下水自体もきれいだったのでしょう。

カニを取ることはほとんどしませんでしたが、カニを観察することはしょっちゅうでした。 しゃがんでじ~っと眺めている。 別に学問的な観察ではありません。

 

ただ、海だけでなくこういうところにもいるんだと感心していたんです。

なんかああいう生き物って眺めていると面白いでしょ。

 

横道にそれますが、私は水族館が好きです。 泳いでいる色々な魚を眺めているだけでいいんです。 仕事に携わっている方々には申し訳ないのですが、別にイルカやアシカのショーはあまり興味がないんです。

 

話は沢ガニに戻ります。

他の人が見たら、溝の傍にしゃがんで何やってるんだろうってことになりますね。 このように昔は、道草してくだらないことまで体験できることがあったのですが、今はもうそういうところも無いでしょうね。

少し懐古趣味的オジンの発言になってしまいましたが、今の子どもたちはダラダラとゆっくり帰ることもできない状況のようです。(・_・;)

ちょっと怪しい人を見かけると、学校からのメールで「不審者がいたから気をつけろ」の連絡があるような世の中になりましたから。(-.-;)

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2008.12.09  どうなっていく?これからの美容医療

私が1999年に開業した以降でも、美容医療はどんどん進化しています。

 私が大学を卒業した頃は、 美容外科での開業といえば、美容手術ができないと無理だったと思います。

また、大学や大病院でも美容医療を行なうということがほとんど無かったため、研修を行なうにしてもかなり限られていました。

だから、ある程度開業医の数も限られていたのだと思います。

しかし、今は違います。

この傾向はいつごろからでしょうか。

まず第一にはレーザー治療の発展でしょうね。

シミやアザの治療が非常にわかりやすくなったと思います。

それから平成9年ごろからでしょうか、あの脱毛レーザーが出現してきたことはまさに革命的でした。

レーザー治療とほぼ並行してですが、 ケミカルピーリングもその頃から普及してきました。

レーザー治療やケミカルピーリングの発達は、それまで美容医療といえば手術がメインだった時代から脱却して、新たな展開を見せました。

極端な言い方をすれば、手術をメインにしなくても、レーザー治療やケミカルピーリングを行なうことでも、美容クリニックとして開業することが可能になったのです。

このことは美容クリニックの増加をもたらして今日に至っております。

 

 今後はどうなるのでしょうか?

医療機器はますます進化していくだろう と思います。

では、それに伴って、施術を受ける方の満足度も上がっていくのでしょうか 。

正直なところ、それは疑問かもしれないと思っています。

なぜなら、治療可能なレベルが上がれば上がるほど、欲求もさらに上がってしまう可能性があるからです。

 

これからは、医療機器などのハード面の発展と共に、ソフト面も重要視されるでしょう。

どのように発展するのかは、各クリニックのドクターの人生哲学、運営哲学にかかってくると思っているからです。

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2008.12.08  オン・オフ

仕事の時と休息の時の気分的、精神的スウィッチを入れ替えることを「オンオフ」と称することがありますね。

私は、以前は役者が舞台の上と舞台を降りてからで全然雰囲気が違うというようなエピソードも読んだりすると、「プロともなると、この切り替えが旨くできないといけないのだろう」と思っていました。

しかし、今では逆のことを行なっています。

「オンオフ」の切り替えを意識的にしないようにしているのです。

もう少し正確に言うと、「オンオフの切り替えを考えない」ですね。

オンもオフもなくなった感じです。よく言う「素のまま」ですね。

ほとんどが「今、この場、この時の私と目の前のこと」です。

もっとも、今でも大事なところでの集中はしていますが、人との接し方はあまり仕事中も仕事外もあまり変わらないようにしています。

周りが自分に対して思っているようなイメージについては考えないようになります。

周りが自分に期待している部分についても考えません。

私への非難についても同じです。

自分を無理に作らないのです。

なんかその方が疲れないのです。

おそらく、私はケツの重たいタイプなので、いったんオフにしてしまうとオンにする時のエネルギーが大きいから、そうなってきたんじゃないかって勝手に考えています。

勿論このオンオフは精神的なことに関するもので、実際の業務を公私混同することとはまったく違います。

禅宗で言われている言葉に「八風(はっぷう)吹けども 動ぜず」があります。

八風吹けども動ぜず」とは八つの風(得をすること、損をすること、陰でけなされること、陰でほめられること、目の前で非難されること、目の前でほめられること、楽しいこと、苦しいこと)が吹いても(起こっても)、それに惑わされること無くいられることです。

これは、凡人にとっては煩悩だらけだから難しいことなんです。

まだまだなんとなくですが、風を感じつつもあまり気にしなくなる時もあるようになったと思います。

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2008.12.01  応病与薬

次男の担任の先生が言ったことです。

次男に「世界に一つだけの花」という歌は良くないといったそうです。人間は競り合うことで進歩するが、この歌では進歩がないという理由で。

 

それに対する私なりの異論です。

ご本人に言う気はないもんで。(^_^;)

 

この歌の主旨ですが、私は「人生をあまりプレッシャーに感じなくても良いんじゃないか。比べるからプレッシャーになるんだ。だから比べなくてもいいんだよ」という風にとらえています。

だから、周りを気にしている、内向的な人たちへのメッセージですね。

つまり人生をマラソンに例えると、いわば後ろの人たちです。

先頭を走っている人たちと違い、自分が遅れていることもわかっています。けど走らなければいけないから走っているという人たちですね。

当然、トップ集団と違い、人と競り合いながら走っていくということは苦手だと思います。

 

私も学生の頃に体育の授業でマラソンをさせられましたが、私自身後ろのほうの常連でした。(^_^;)

だいたいその辺を走っているやつらは、本当に体力がないか、めんどくさがりですね。

 

そんなやつらですから、トップを走っている連中とは哲学が違うのです。

そういう後ろを走っている人たちに、「後ろを走っているからといって、引け目に感じる必要はないんだよ。後ろは後ろでいいんだよ。マイペースでいいから走りましょうよ。」といっているのだと思います。

 

次男の担任が言っている発言は、トップを走っている集団の哲学です。

体力がある連中だから、他人と競い合うことができる。

そういう連中はそうしたければそうすればいいんです。

 

このように歌が万人向けのメッセージではないということはよくあると思いますよ。

 

いわば薬と同じですね。

薬は病人が飲むから効果があるんです。

 

応病与薬(おうびょうよやく)という言葉があります。

ようやくタイトルの言葉が出てきましたね。(^_^;)

文字通り、病気に応じて薬を処方することです。

だから、健康な人は飲まなくてもいいんです。それと同じです。

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2008.12.01  「ありのまま」と「なんでもOK」と泥縄

最近は、「ありのままでいいよ」とか「何でもOKなんだ」という主旨の本を書店で見かけます。

 

私は、「何でもOK」というのは、「何をやってもOK」というのではなく、「何が来てもOK」なんだと解釈しています。

だから、逆に言えば「これからの運命で何が起ころうともOK!正面で受け止める」という覚悟があるのならば、勿論「何をやってもOK」なんです。

 

こういう「覚悟」が自分にあるかどうかは、おそらく平和な時にはわからないものではないかと思います。

本当に大変な時、急場でわかるのです。

心の準備がないとき、その時が自分の本性に近いものが現れる時なのだと。

 

「それじゃあ遅い」と言われても仕方ありません。

だって想定できる範囲外だからこそ「想定外」なんです。

その時は、腹据えましょうよ。

とりあえず「口先」?でもいいから。f^_^;

 

所で、世間では「泥縄」ってよくない意味で使われているように思いますが、私は悪いとは思っていないのです。

 

「泥縄」であろうがその時を活きていればOKなんです。

防災訓練もしないよりはした方が良いと思うのですが、決して「予定通りに」「都合の良いように」は起きませんよね。

だから、厳密に言えば、急場は全て「泥縄」対応になってしまうのだと思います。

「ありのまま」から「泥縄」に来てしまいました。f^_^;

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