横浜FCクリニック形成外科院長の日記
2009.01.28 今だから
人間は、自分が知っていること、学んだこと、更にそれらによって理解しているものを超えたものを理解することはできないということを、養老先生は「バカの壁」と称しました。
確かに「バカの壁」は存在しますが、だからといって学べないというわけではないとも思っています。
それぞれが学ぶタイミンぐ~、一番理解しやすい時期があるんだということです。
昨年風の少々古臭い表現はお許しを。(^_^;)
古臭い?ついでにもっと古い話です。
昔、故坂本九ちゃんが歌った歌で、名前は忘れましたがその中の歌詞の一節だけ覚えている部分があります。
「この世で一番肝心なのは、素敵なタイミング」
この歌の方では、確か愛の告白のタイミングということでしたが、このタイミングって、なんでも該当しますね。
例えば、ブッダが言われたという「四苦」です。 「生 老 病 死の四つは、思い通りにはならない」ということですが、これだって若い頃に読んだ時には「ふ~ん」で終わっていました。
正直なところ、まだピンと来なかったのです。
でも、今はさすがにというか、かなりわかってきました。
「八苦」で加わる残りの四つですが、
愛別離苦(あいべつりく、愛するものと分かれなければならない苦しみ)
怨憎会苦(おんぞうえく、憎んでいる対象に出会う苦しみ )
求不得苦(ぐふとくく、欲しいものが得られない苦しみ )
五蘊盛苦(ごうんじょうく、心身の機能が活発なため起こる苦しみ )
ここまでくると、社会に出て働いたり、結婚したりと色々な人間関係の中で揉まれないとわからないと思うのです。
いや、今なら小学生でも感じる人は感じるかもしれませんね。f^_^;
まあどちらにしても、2000年以上も昔に、こんなことを35歳で悟ったというお釈迦様はやっぱりすごいんです。
やっぱ、凡人である私にとっては、年くってからようやく分かるということも十分意味があるし、だからこそ生きているのだと思います。
自分の中で、自分の生き様の、自分なりの完結篇を作りたいんですね。
2009.01.17 無人島で役立つ学問、ってか?
「数学ができても、無人島に行けば何の役にも立たない」
この言葉は実は私が中学生の頃、数学を教えている某先生が言った言葉です。
私は、この先生は自分の仕事に何の意味も持てないのかと幻滅しました。
確かに数学自体は無人島では役に立ちませんが、それはあくまでも表面しか見ていないコメントだと思うのです。
数学の意味は、「ある理論を利用して考え方を進める方法を学ぶ学問」だと思っています。
だから、数学を学んでいけば、色々なことを考える時に役立っているのです。ただ表には出てこないだけなんだと思っています。
それをいうなら文科系の学問だって同じですよ。
経済について詳しくたって無人島に行けば直接は役に立ちません。
例えば経済学は、人間社会に生きていくためには必要なルールを学ぶのです。 これがわかっていないと、具体的にはお金の使い方をわかっていないと、人間社会では暮らしていけないことと同じです。
この人間社会で役立つものと、自然界で役立つものを混同してまとめようとする考え方がそもそもおかしいと思うのです。
もしも不要な学問であれば、もうすでに存在していませんよ。
2000年にも及ぶ人間社会で発生してきたからには何か意味があるのです。
それから一寸話をずらしますが、ホントは全ての学問は重なり合っていると思うのです。
なぜなら全ての学問が、大きい意味で人間社会で生きていくためには必要だからです。
だから「一即全」です。
そのため、学ぶ内容が一部ダブってしまいます。
例えば社会科では、「地理」を学ぼうとしたらやはりその「歴史」を知ることが必要になるし、「地学」の知識も必要になります。「理科」で学ぶ科学の発展もその時期に究明されたこと自体が、やはり環境や歴史にも影響していたはずです。
「英語」であれば、その国の歴史や風習、「文学」、「経済」もある程度学ぶことになりますよ。
だから、本来は区分けなんてできないと思っています。
たとえ小さい範囲から始めても、やりだすときりがないんです。
でも、一緒くたにすると教える方も大変だから、とりあえず分けているだけなんだろうと理解しています。
それから、逆に一人ひとりが全てを学ぶ必要も無いと思っています。
やりたければそうすればよいですが、おそらく無理ですよ。(^_^;)
その社会の中で一部の人たちが深く進めていけばよいのです。
その力が、他の人たちを引っ張っていきます。
でも最低限、存在する意味はあると思うのです。
2009.01.14 道路標識
昨年末に横浜から神戸、岡山まで車で走りまりました。
私は運転があんまり苦ではないので、気楽に走っています。
いつも思うことがあります。
県境になると、「ここから○○県」という表示が道路わきに見られます。
それを見れば、ああそうかということになるのですが、道路のほかは山の木々はまったく変化ないですよね。
結局、県境にしろ、国境にしろ人間が決めた枠でしかない。
地球という自然は、そんなこと知ったこっちゃあ無いんです。
つくづく人間のエゴを考えてしまうのです。
それから、山中の道路わきにある「動物に注意」という表示も面白いです。
場所によって、一緒に書いてある動物が違うのです。
タヌキ、サル、シカなど、色々あります。
かなり昔になりますがタヌキ、ウサギ、ヘビにはそれぞれ出会ったことがあります。
また会いたいですね。
2009.01.09 蟻の餌運び
先に言っておきますと、今日は一般の方々にとって、ある意味でわけのわからん話を書きます。
ウザイと思われる方は、スルーしてください。
むしろわからない方がまともかもしれません。 ご安心ください。
「自分」という意識についてです。
この「私」を意識できることはどこでされているのかが、脳科学の最先端の問題です。
これには諸説あり、これだけで分厚い本が1冊書かれているくらいですから、ここでは省きます。
ここには私個人の仮説を書きます。
それが「蟻の餌運び」説です。
まったく何のことかわからないと思いますが、説明します。
「自分」、「私」と認識している意識は、脳の中にあると思います。
ここまではもうすでに言われています。
そして「意識」の場所に諸説出てくるのですが、その中で私がそうではないかと思っているのは、数多くの神経回路で作られる思考の集大成が「自分」という意識を作っているという考えです。
これは、日本では最近テレビによく出られている茂木さんが書かれています。
つまり、脳細胞の一つ一つに心があるというわけではないということです。
私の仮説はこれが元になりますが、「蟻の餌運び」説の「蟻」は一つのシンプルな思考及び行動回路に相当します。
例えば、「私は冷たいお茶を飲みたい」という思考が起きた時に、それを達成するには冷蔵庫を開けて、お茶のペットボトルを取り出し、キャップを取ってお茶を飲む、そして目的を達成したことに満足する、という過程を経ることになります。
この切欠になる要求をAとすると、AのためにBという行動、それからCという行動、Dという行動、E、F、・・・最後の行動が終了してAを満足させて終わるという一つのループができることになります。
これが私のいう「一匹の蟻」です。
大抵の行動はこのようにシンプルではなく、色々な「考えや想いとそれに対応する行動反応」が組み合わさっています。
このようなループという蟻たちが集団で一つの行動を起こす、つまりこの「餌を運ぶ行動」自体が、いわゆる「自分という意識」ではないかと思っています。
これではよくわかりませんよね。
つまり、個々の蟻たちがそれぞれ他の蟻たちを認識する「意識」が合成されて一人の人間である「私」に集約されるのです。
余計わからなくなりましたか。すいません。(-.-;)
今後表現を追加します。
人間以外の動物は「自分」という意識があるのかどうかは断言できませんが、人間ほど明確ではないと思います。
それは人間ほど大脳皮質が発達していないからです。 この「自分」を認識するというのは、結局五感を利用した「行動」から認識するのだと思います。
チーターが獲物を追いかける時には、「獲物を捕る」ことに全力を出していると思います。おそらく走っている時に「俺の走り方ってカッコいいでしょ」なんて思わないだろうということです。
この「自分」を認識することは、結局五感を利用した「行動」から逆に認識するのだと思います。
何かを見ている自分、何かをしゃべっている自分、走っている自分です。その時に起こる感覚を自覚することで「自分」を認識します。
簡単な動作でも、色々な行動が複合しています。
例えば「走る」でも、下半身のそれぞれの筋肉の動きもあれば、上半身の手の振り方もあります。それらの運動以外にも皮膚が受ける風の知覚もあります。
それら全ての感覚をトータルに認識して、「自分」を知るのだろうということです。
このそれぞれの神経反射も含めての感覚を認識した合作ですから、「蟻のえさ運び」を連想したのでした。
餌を運ぶ蟻たちは、観察していると、時には一匹一匹なんか別行動を取ろうとしているように見えることがあります。
要するに引っ張る方向がなんか違うのです。
しかし、それでも餌は目的とする方向に運ぼうとする合力が働いているのですね。
この「蟻」たちを私たちは日ごろ意識していませんが、この蟻たちの餌の運び方で、その時の意識が変わってくるのです。
例え目的地は同じでも、喜怒哀楽などの「感情」が含まれているループに相当する「蟻」が時に変な方向に引っ張ろうとすると、その餌を運ぶルートに誤差を生じます。
それがいわゆる「その時の気分」というものになるのではないかと考えています。
ここまで読んだ方に感謝します。m(_ _)m
ただでさえ良くわからない話しを、簡単に書いてますから、無茶苦茶ですが、今日はここまでにします。(^_^;)
2009.01.07 俺たちはファミリー
家族の大切さについての補足です。
夫婦も家族の中で重要なポジションです。
私の考えですが、家族全体の安泰を求める一番の近道は、「夫婦が仲が良い」ことだと思うのです。
具体的には「よく話をする」ですね。
口論になったっていいんです。 そういう夫婦なら、すぐに仲直りしますよ。
でも、それが難しいことでもあるのかもしれません。
まだ、自分の親と自分の子供たちは血のつながりがありますが、「夫婦」というのは遺伝子レベルでは共有する情報が子供たちよりは少ない「他人」ですからね。
(勿論、ホモサピエンスとしては仲間ですが。(^_^;) )
家族はケンカしても、あとくされがありません。
子供たちを見ててもそう思います。
日ごろは口げんかばっかりですが、病気の時などいざという時は結構心配してます。 修学旅行などで、いないときには寂しいみたいです。
ケンカのほかにも、愚痴を聞いてもらったり、ガス抜きになったりすることもできていたんですね。
それができない場合に、はけ口を外に求めて、サークルに入ったり習い事を始めるというパターンになってしまいます。
それができないときには、友達とのメールにはまる。
そういう逃げ道の一つに、「いじめ」という発散手段を見つけてしまう。
「モンスターペアレント」は、「自己中心」+「いじめる快感」+「ストレス発散」イコールという方向なんでしょうね。
それに、本人の持っている攻撃的性格と、その原因となる損得勘定が加味されます。
2009.01.06 サザエさんの家族
今回の年末の帰省は、色々と考えることがありました。
子供たちにとっては、収入があったのですから、それだけで満足でしょうね。
私から見ていて感じたことは、子供たちにとって祖母、伯父さんなどの年配の親族の人たちと接することの重要性でした。
やはり、高齢者の方と話をすることで、「年齢」というものを無意識にも感じさせることになりますし、年配の人の考え方が、自分たちとは違うことも認識できます。
また、私の母は外出時は車イスですから、どうしても介助が必要になります。 介助が必要な人と接すること、これも学びです。
親以外に、祖父母、孫なども同居する大家族というシステムも重要ですね。
いわばサザエさんの家族です。
核家族になって都会で暮らす家族や、離婚・死別などによって一人親家庭になってしまった家庭が近年増加しています。
このように、ばらばらになって孤立化してしまった家族が増加したことも、今の社会問題にかなり影響を与えていると感じました。
「モンスター何某」などの出現も、意見を出す人が周りにいなくなってしまっていることが、 原因の一つと思っています。
だって、なんだかんだと言ってくれるのは、やっぱり家族じゃないかと思うのです。
2009.01.05 あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。 m(_ _)m
世間の方では、まだ先行きの見えないご時世が続いており、安穏とはしたくてもできない状況です。(-.-;)
また、これからの美容形成も含めた医療も、問題が多く残されています。
そんな中で、どういう考えで続けていくのが良いのかと考えています。
養老孟司先生の書かれた「養老訓」という本に 「実は手をつけていない穴はあちこちにあります。探せば見つかります。その穴を埋めることこそが仕事なのです。」 と書いてありました。
これは定年後の男性は、生き生きとするためにも何か仕事を探した方が良いという内容の中にあったのですが、私にも響きました。
どうせ私ももうすぐですしね。(^_^;)
今後行なっていきたい方針は、頭の中に青写真としてあります。
具体的にはまだまだですが、そのうちにホームページでも出してみたいと考えています。
まあ、あんまり「めでたい」という意識のなかった?年始でもありました。
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